2005年10月03日
美濃焼【岐阜県】
●美濃焼
美濃焼とは岐阜県美濃地方、多治見市・土岐市・瑞浪市・笠原町で生産されるやきものの総称のこと。
名前はかつてこの地方が美濃、と呼ばれていたことに由来しています。
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現在では、日常で使われる陶磁器の半分以上が美濃焼だという統計もあるほど、日常に密接な陶磁器です。
●美濃焼の歴史
良質の粘土に恵まれた美濃地方は、平安の昔から焼き物が盛んだったとされます。
その始まりは7世紀、須恵器の時代となります。
その後、平安時代後期、高級品であった施釉陶器が作られたといいます。
しかし、一旦途絶えます。
室町時代に瀬戸の陶工が戦火を避けて美濃に移住。
再び施釉陶器が始まりました。
そして安土時代、信長の保護政策によって数多くの名品が生み出されました。
経済産業大臣指定伝統工芸品と認められているのは次の15品目です。
・志野 ・織部
・黄瀬戸 ・瀬戸黒
・灰釉 ・天目
・染付 ・赤絵
・青磁 ・鉄釉
・粉引 ・御深井
・飴釉 ・美濃伊賀
・美濃唐津
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2005年10月02日
旭山動物園【北海道・旭川】
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- 17:43
- 10.北海道 |
- 20.全国の名所・観光地
●旭山動物園
1967年に開園した旭山動物園。
一時は閉園の危機にさらされたこともありましたが、「行動展示」という新機軸を打ち出し、見事に全国区の人気を誇る動物園となりました。
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子ども達が動物園に来て「スゴイ」と思ってもらえること。
そこから、自然体系に興味を持ってもらうことで、自然環境の保護に興味が広がることを期待します。
その始まりは、1997年にできた「ととりの村」。
人間がかごに入るという発想。
それまで、鳥が飛び去らないように羽根の一部を切っていたが、それをやめることで、鳥本来の姿を見ることができる。実際、羽根を切らなくなったことで繁殖力が戻ったともいわれます。
その後、「もうじゅう館」「ぺんぎん館」「あざらし館」などがオープンしました。
いまや上野動物園を越える人気をもつ人気動物園になった旭山動物園。
真似のできない飼育員の説明能力など独自のノウハウで、自然本来の姿を見せるべく努力を続けています。
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2005年10月01日
伊万里焼【佐賀県】
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- 17:32
- 18.九州・沖縄地方 |
- 40.伝統工芸
●伊万里焼とは
伊万里焼とは、伊万里港から積み出された磁器の総称で、元々は有田焼から発しています。
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その卓越した技術の流出を恐れた鍋島藩が、大川内山に優秀な職人を集め、御用窯を作ったとされます。
大川内山へは大事に守られ、入口に関所を設けて、人の出入りを厳重に規制。
焼成された焼き物も市販はせずに、藩の用品として用いられたといわれています。
伊万里焼の始まりは1616年。
文禄・慶長の役の後に帰化した朝鮮の陶工、李参平が有田泉山に磁鉱を発見、磁器の焼成に成功したことから始まるとされます。
昭和52年に、伊万里焼は国の伝統的工芸品指定を受けています。
色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁などがあります。
【関連リンク】
伊万里鍋島焼協同組合
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2005年09月29日
砥部焼【愛媛県】
●砥部焼
砥部焼は愛媛県伊予郡砥部町で作られる、全国的に人気の生活陶器です。
もともと、砥部焼は土地に産する砥石くずを原料に作られていました。
その始まりは江戸中期にさしかかる安永6年(1777年)。
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2005年09月28日
アルテピアッツァ 美唄【北海道】
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- 22:01
- 10.北海道 |
- 20.全国の名所・観光地
●アルテピアッツァ 美唄
北海道・美唄市の芸術施設、アルテピアッツァ美唄。
ここには同市出身の彫刻家・安田侃氏の作品が置いてあり、鑑賞することができます。
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アルテピアッツァ美唄は、1981(昭和56)年に廃校になった旧栄小学校を再生して開設され、施設内部と屋外にそれぞれ安田侃氏の作品が展示されています。
自然との調和をコンセプトとした、といわれる屋外の彫刻はひじょうにおだやかに優しい感じです。
2002年、安田侃氏はこの施設、アルテピアッツァの仕事によって、村野藤吾賞(日本建築界の最高賞)を受賞しました。
ちなみに、アルテピアッツァとはイタリア語で「芸術広場」を意味します。
ArtePiazza
Arte Piazza Bibai
栄小学校(現・アルテピアッツァ美唄)/そらち 産業遺産と観光
アルテピアッツァ美唄 High Resolution QuickTimeVR
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2005年09月27日
青葉城【仙台】
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- 21:39
- 11.東北地方 |
- 20.全国の名所・観光地
青葉城は慶長5年(1600年)に、奥州の覇者伊達政宗によって築城が開始されました。
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1600年といえば、関が原の戦いの年。
伊達62万石の城として、東と南を崖がある場所とし、周囲を広瀬川や竜の口峡谷に囲まれた天然堅牢。
しかし、徳川家康の警戒を考慮し、あえて天守閣は作らなかったといわれています。
山城という不便さから、晩年は若林館を作り、そちらで過ごしています。
青葉城の門は伏見城の門を移したものといわれ、桃山様式を伝える門でしたが、昭和20年の仙台大空襲の際に消失。
天下取りの野望を秘めた独眼流政宗の居城として、豪華で華麗な城だったと考えられていますが、残念なことに、現在は石垣と再建された部屋の一部が存在するのみです。
政宗公騎馬像の前に立てば、歴史に思いを馳せてしまいます。
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2005年09月26日
ノリタケの森【名古屋】
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- 22:24
- 14.中部地方 |
- 20.全国の名所・観光地
●ノリタケの森とは
ノリタケの森は世界的に有名な食器メーカー、ノリタケの敷地内にあります。
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漢字ではノリタケは則武と書きます。
雰囲気は広い空間の中ゆったりとしていて、思わず名古屋という都市にいることを忘れてしまいそうなほどです。
クラフトセンターでは、お皿やマグカップへの絵付け体験もできます。(有料)
アウトレットショップで好みの商品を探すのも楽しいです。
世界的に評価を得ている、ノリタケ製品の初期の作品「オールドノリタケ」の展示公開もあり、またレストランやカフェも併設されているので、長い時間をとって楽しみたい場所です。
⇒楽天市場 オールドノリタケ 商品一覧を見る
⇒楽天市場 ノリタケ 商品一覧を見る
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キビナゴ【鹿児島名物】
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- 21:14
- 18.九州・沖縄地方
●キビナゴとは
キビナゴは体側に美しい銀色と青の帯をもつ小さな魚。
大きな群れを作っており、キビナゴの大群を目にするとその光に幻想的な感覚がするとか。
西日本で獲れる魚ですが、特に鹿児島が産地となっています。
漢字では吉備女子(きびなご)と書きます。ニシン科。
キビナゴはDHAなどを多く含むことから、健康食品として人気が出てきています。
昔はカツオやタイの餌として利用されていました。
2005年09月23日
とんぼ玉【伝統工芸】
●とんぼ玉とは
とんぼ玉とは、色文様のついたガラス玉のことで、紐を通す孔のあいた装飾玉のことをいいます。
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●とんぼ玉の歴史
とんぼ玉は3500年もの歴史をもちます。
その始まりはガラスがつくられてまもなく始まったといわれています。
古代においては高貴な人々が宝石のようにキラキラと輝くガラスを身にまとい、装飾や魔除け等として使用されました。
その後シルクロードを経て日本へと伝わりました。
このとんぼ玉、道具を揃えれば家庭でも作成が可能です。
ただし、火を扱いますので、充分な注意が必要です。
【とんぼ玉に関連した書籍】
バーナーで作る手作りとんぼ玉の本
【とんぼ玉 作り方掲載サイト】
とんぼ玉
ガラスビーズ とんぼ玉の作り方
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かねふくの明太子【福岡名物】
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- 22:29
- 18.九州・沖縄地方
●かねふくの明太子
福岡の名物、明太子。
かねふくのコンセプトは「食のこころを大切にする」こと。
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大切な工程を「粒立ち工程」というのだそうです。
明太子のつぶつぶ感を決定づける大事なこの工程を業者任せにせず、かねふく自らが行っているのだそうです。
2005年、かねふくの辛子明太子は業界で初となるモンドセレクション金賞を受賞。
(モンドセレクションは世界の食品オリンピックといわれる世界的なコンクールのこと)
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2005年09月21日
清水焼【伝統工芸】
●清水焼とは
清水焼とは、主に京都の清水焼団地などで焼かれている焼物のことをいいます。
昔は清水寺門前に窯元が多かったようですが、現在は清水焼団地が中心となっています。
京焼とも呼ばれます。
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清水焼の起源は平安遷都以前にさかのぼります。
その後江戸時代(17世紀)頃、野々村仁清が色絵陶器を完成。
さらには、尾形乾山・尾形光琳兄弟が絵画のような作風を生み出します。
そして、江戸時代中期に奥田頴泉が、中国や朝鮮の磁器を手本とし、色絵磁器をさせ、今日の清水焼へ続くこととなります。
●五条坂の陶器市
清水焼で有名なのは、毎年五条坂にて8月7,8,9,10日に行われている五条坂の陶器市です。
この陶器市、大正初期から始まったといわれています。
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2005年09月13日
九谷焼【伝統工芸】
●九谷焼とは
「ジャパンクタニ」(九谷庄三の彩色金襴手)として、国際的にも有名な九谷焼。
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特徴でもある色絵装飾の美しさを彩るのは五色の絵具。
赤・黄・緑・紫・紺青の五色を指し、これを「九谷の五彩」と呼びます。
「呉須(ごす)」とよばれる藍青色で線描きしたの後、九谷の五彩で山水、花鳥などを描いていきます。
九谷焼の歴史は江戸時代初期の頃(1650年代)へとさかのぼります。
加賀藩の支藩であった大聖寺藩の藩主、前田利治が領内の九谷の金山で焼き物にあった鉱石が発見されたことに注目し、錬金の役を務めていた後藤才次郎に色絵磁器を焼くことを命じたのが始まりとされています。
その後、九谷の窯は1730年頃突然閉じられます。
今もってその理由は謎です。
そして、この間までに焼かれた九谷焼のことを、「古九谷」といい、日本の色絵磁器の代表として高く評価されています。
その後九谷焼は再興され、年代ごとに名前が称されています。
古九谷(約350年前)
木米 (約200年前)
吉田屋(約180年前)
飯田屋(約170年前)
庄三 (約160年前)
永楽 (約140年前)
中でも有名なのは、庄三。
古九谷・吉田屋・赤絵・金襴手のすべての手法を間取り方式で取り入れ、配置よく焼きもの施したこの手法は、明治以降の産業九谷の主流となりました。
【関連リンク】
金沢の伝統文化-九谷焼とは
古九谷窯跡
石川新情報書府―九谷焼
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