2004年11月06日

東洲斎写楽【浮世絵】

寛政六年の三月頃から翌年一月までのわずか10カ月という短い期間に、150点あまりの大量の浮世絵を制作。
そして忽然と消えてしまった謎の浮世絵師、写楽

東洲斎写楽は生没年、生まれ一切不明。江戸中期に存在したとされます。

写楽の描いた錦絵は江戸三座の役者絵と相撲取大童山に限定されており、版元はすべて蔦屋重三郎だという。

この謎だらけの天才絵師、その正体説には諸説ありますが、藩のお抱え能楽師斎藤十郎兵衛であるという一説が有力だと考えられています。

その作風は非常に個性的で、まるで俳優の短所を強調するかのような表情や手の動きなどが見るものの不評を買い、絵師としての生命を縮めたとされます。

しかし、今見る写楽の絵は、その大雑把な線が今にも動き出しそうな迫力を持ち、非常に勢いのある魅力ある絵に見えます。
少ない線と色使いもその特徴です。


徳島市にある写楽の墓も誰が立てたものかは分からず、ひっそりと存在しているのだそうです。

代表作は、「二世大谷鬼次」、「市川鰕蔵」「二代瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木」など。

関連リンク:

日本の墓:東洲斎写楽
写楽研究 あまりに真をかかんとて
東洲斎写楽ギャラリー



★楽天市場で写楽を探す